chocoberry Life

3児育児中のワーママです。ライフハック、子育てなど暮らしを豊かにするヒントや気づきを綴っています。

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京大生山口さんの「がんになってよかったといいたい」を読みました。本当に死と向かい合った人の話は深く心に刻まれると思った話

京大生だった山口さんの「がんになってよかったといいたい」を読みました。すごく心に残る本でした。まるで小説のような文章。自分の気持ちや心を、奥深くから汲み取って言葉にしていると思いました。

 

生きていると、すごく辛い状況になることもあります。でも、山口さんが遺したこの文章を読むと、健康でいられることがどれほど素晴らしいことかと痛感させられます。もっと生きたい。そう願っていたけれど、実現することが叶わない人がいるのだということを改めて気づかされました。

 

多くの方に読んでほしい!そう思ったので、印象に残ったことを紹介します。

  

 

本との出会いはTwitter

 

出会いはTwitterでした。山口さんは当時病気の治療中で、あまり病状が思わしくない状況。現在の検査数値と、それに対してどのような対処が回答を求めるつぶやきをしてらっしゃいました。

 

冷静に考えれば、症状をみているのは主治医であり、Twitterに投稿された検査結果だけで病状の判断をするのは難しいと思います。けれど、それでも投稿せずにはいられないほど、追い詰められた状況だったのだと思います。私も、誰かに救いを求めるような気持ちで質問の投稿をしたことがあるので、気持ちがよくわかりました。

 

その後、山口さんのお父様が訃報としてTwitterの投稿をされていました。今まで応援ありがとうございましたという感謝の言葉でした。そして、本を出版されていることを知ったのです。

 

Kindleアンリミテッドだったため、ダウンロードをしてみました。でも、読めませんでした。闘病記ということは、辛い描写もあるに違いありません。それを読むのは辛いと思いましたし、想像することで自分や周りで実際に起きてしまうのではとスピリチュアル的なことを考えてしまったからです。

 

それでもあるとき、読んでみようと思いました。少しずつ、読み始めました。すると京大生として生きていた山口さんの人生や心の内を知ることができました。どんな思いだったのか、どんなことを考えていたのか。本当に死と向かい合った人の言葉は、何よりも重みのある言葉でした。最後まで読み終えたとき、本当に読んでよかったと思ったのです。私の印象に残ったところを紹介させていただきますね。

 

まるで小説のような、素晴らしい文章

 

本の最初は、新聞記者さんの文章でした。第三者の視点として書かれているので、ご本人の思いがあまり伝わらず、ただ淡々と書かれているように感じました。

 

あれ?ご本人の記述はないの?

 

そう思っていたところ、途中から山口さんご自身のブログを抜粋した話になりました。山口さんはブログに病状を公開しており、それがまるで小説のような描写。さすが京都大学に進学されるだけの頭脳をお持ちなのだなと感嘆させられる文章でした。

 

あれだけ生きたい瞬間があり、あれだけ死にたい瞬間があり、それらの感情はどこからやってきてどこへ行ってしまった

 

デイ・ゼロ。  僕がこの日を忘れることはない。  新たなスタートラインに立つ。そんなに立派な線ではない。靴の踵で土のグラウンドに引いた、自分にしか分からないぐにゃぐにゃのスタートラインだ。

 

これだけの文章力があるからこそ、本になり、SNSでも多くの方から応援などの多くの声が届いたのだと思いました。

 

主治医のブログの言葉「人の生きる意味なんてない」

 

告知のあった日。お母さんのうつむいて「見つかってよかった」といった言葉。どんな気持ちだったのかとすごく心が痛みます。そして、病名を検索して、死亡率に愕然とした山口さん。調べてしまうよね。その気持ちもすごくよくわかりました。

 

「人の生きる意味なんてない、とにかく自分に与えられた時間、境遇を一生懸命生きるのみ」。山口さんが、ある主治医のブログから見つけた言葉です。山口さんはこの言葉に賛同しています。

 

私も賛同します。今まで、私は生きている意味があると思っていたけれど、この本を読んでから、意味はないなと思うようになりました。生きる意味があるならば、なぜ若くして病になり、余命を告げられ、辛い治療を何度も何度もおこなうことになるのでしょうか。意味があると、多くの方は思おうとしているのではと思いました。そのほうが、生きやすいから。生きる活力がでてくるから。だから意味があると思っているのだと感じました。

 

人生とは、生まれてから死ぬまでの時間。どうせ終わること。だからこそ、今いる時間をよりよく生きねばと思いました。

 

陸上で鍛えた身体もどんどん変わってしまう

 

山口さんは学生時代、陸上部に所属していました。鍛え抜いた身体も、手術や薬の副作用によりどんどん変わってしまいます。

 

身体を鍛えることはよいこととされています。脳や身体にとって運動はよい効果をもたらすものであり、科学的にも証明されています。でも、どんなに身体を鍛えていっても、いつかは老いや病で衰えてしまうものなのだと本を読んでいて痛感しました。

 

どんどんと衰えてしまうその様子を見ると、今元気に動かせる身体があることに、感謝せずにはいられません。そして、身体が動かせるうちにできることをしたほうがよいと感じました。

 

もっと生きたかった。もっとやりたいことがあった。まだ21歳だったのだ。そう思うと、私自身もなんとかして生きていかねばと思います。

 

予想外の出来事がいつでも起こりうる

 

本の最後は、病が消えたという奇跡が起ります。山口さんのお母さんから移植をおこない、それが山口さんの病の細胞をやっつけたということでした。そんなことあるのか?と思いつつ、神に生かされているのだと書いていました。

 

神はいない。そういっていた山口さん。それを覆すほど、予想外の出来事でした。

 

本は新たな未来が見えて終わります。しかし、現実にはまた予想外のことが起ってしまいました。本にはそのことは書かれていませんが、山口さんのブログは残っています。よりよい未来に舵を切ったと思いきや、また残念な事実を突きつけられる。そしてまた、よい未来につながることもある。人生には、予想しないことが起こるのだということを、改めて痛感しました。

 

私たちは、ただ生きているだけ。そうならば、よりよく生きていきたい

 

生きる意味とは何なのか。それを問われると、人はそれぞれの考えを述べます。人それぞれに生きてきた道があり、経験があり、感動をもっています。だからこそ、その思いに基づいた意義を見いだすのでしょう。

 

でも、実際には私たちはただ生きているだけ。何をしても、何もしなくても、時間は必ず過ぎていき、いつか終わりを迎えます。ずっと終わりがないように思っていますが、その日がくるのはいつなのかは誰にもわかりません。まさに神のみぞ知る。

 

どんなにお金をもっていても、どんなに高価なものに囲まれていても、それを死後まで持っていくことはできません。私には何が残せるだろうか?そう考えると、私の場合は自分と関わってくれた人への思い出と、子供たちへの教育、次の世代への社会が残せることとして考えられると思いました。

 

山口さんが遺された文章からは、本当に死と向かい合ったときの思いがたくさん綴られています。それは、その状況に立った人しかわからない境地であると思います。それでも、この本を読むことで、今の状況に対する大きな気づきを得ることができると思いました。もっと生きたいと願っていた人がいる。それを考えると、自分自身が明日をどう生きるべきか考えるきっかけをもらえると思います。

 

 

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