「今が最悪だ・・・」
そう感じたことはありますか?
もしあれば、是非手にとってほしい本が、アルバート・エリス氏の「現実は厳しい、でも幸せになれる」です。
思いも寄らないようなことが起きたとき、人は「最悪だ」と思うものです。
真っ暗闇の中、いつ光が見えるのかわからないような状況にあると、ずっとこの状況が続くように思えます。
しかし、著者のアルバート・エリス氏は「最悪なんてない」と言い切ります。
なぜ、最悪などないのか?
気づきが多かったので、今ちょっと大変だと感じている方の少しでもお役に立てばと紹介します。
なぜ、「最悪」などないのか?
「最悪」などないという理由は、現状よりも最悪なことがありうるからだと、筆者はおっしゃいます。
本当に最悪な状況は、最終的に世界が滅亡し、人類が滅亡することです。でも、現状はそうなっていないですよね。だから、「最悪」などないと断言されているのです。
確かに、本当にそうだなと思いました。
私自身、昨年、すごく最悪だと思うことがあったんです。そして、よかれと思って、状況を改善するためにその場所から違う場所へ移動しました。すると、なんと!さらに状況が悪化してしまったのです。
これにもまた落ち込んで、また別の場所に移動しました。そこで、そこの方を信じればよかったのですがすれ違いがありうまくいかず、また移動することになりました。この移動先もうまく選ぶことができず、状況はまた悪くなり、落ち込む結果を招いています。
最初に「最悪」だと感じていても、さらに悪い状況がありえます。だから、「最悪」だと感じたときも、何か小さな一つでも「よかった」を見つけ、前向きに考えるべきだと思いました。
苦しい状況のときに、よいところを見つけるのは大変なことです。
最悪だと思っている状況を「よかった」ということは、すごく難しいことです。
でも、自分の体験から、「最悪」だと思ったときほど、「わかってよかった。私はついてる」と前向きにとらえることが本当に重要だと感じました。最初に「ああ、よかった!」とよい面を見つけていれば、こんなに長い間苦しむ状況にはならなかったと思います。
「最悪」から「よかった」を見つけないと、どんどん、さらに、さらに「最悪」な状況になってしまう。そう感じたので、ほんの少しでも「よかった」を見つけていきたいですね。
論理療法であるABC理論とは?
著者のアルバート・エリスさんは、1955年に論理療法である「ABC理論」を提唱しています。
ABC理論とは、出来事(A)、信念(B)、結果(C)からなる認知に焦点をあてた考え方です。
どんな出来事(A)であっても、信念(B)=自分のとらえ方によって、結果(C)が変わってくるということ。
例えば、大切なパートナーから拒否されるという残念な出来事Aがあったとします。あなたはひどくがっかりし、気分を悪くします。これが結果Cです。このひどくがっかりするという結果は、正常な反応です。
でも、ここでひどく憂鬱になったり、反対にやたら多くの人と衝動的につきあってしまうかもしれません。これは自滅的な行動Cになります。
正常な反応Cも、自滅的な行動Cも、どちらもあなたの選択です。不運な出来事Aによって、あなたの望みが阻害されてしまった場合、結果としてどう反応するかは、あなた自身の選択にかかっています。あなたは、自分の感情や行動を選ぶことができる。そう筆者はいいます。
ここで重要なのが、信念Bです。
「~のほうがよい」と考えていれば、自分の望みが叶わないときも、がっかりするといった健全な情緒Cになり、新しい人間関係を作るという建設的な行動Cにつなげることができます。
しかし、「~ねばならぬ」と考えていたら、その思いが叶わないときに、うつ状態といった不完全な情緒Cがあらわれ、引きこもったりする自滅的な行動Cになってしまいます。
この自滅的なCをどうやって健全なものに変えたらよいの?
自滅的なCを変えるためには、ABCに続くD(Disputing)、自己反論が重要だといいます。自己反論とは、自分の間違った思い込みBを認め、それが健全なものになるまで自分に反論するのだそうです。
例えば、パートナーと別れることになってしまった場合、「この相手を失うことが、私の価値の無さを証明することになるか?」と自問します。
その回答は、「そういうことにはならない。今回は失敗した。しかし、自分という人間の失敗ではないし、自分が何にも値しないことを証明することにもなっていない。「今回はうまくやれなかった」ということを「私は価値のない人間だ」と考えてしまうのは、どう考えても論理的に飛躍しすぎだ」だと筆者はいいます。
この自己反論、筆者は本の中でたくさんしてくれるので、それを読むとなるほど!と思えます。でも、これを自分でするのはかなり難しいと感じました。自分で自己反論ができないから、落ち込み、沼の中に陥ってしまっていると思うからです。
そのため、自分で自己反論することができなくても、この本を読んで著者の話を聞くことが、効果的な自己反論につながると感じます。
「ねばならぬ主義」を手放そう
深刻な悩みの状態に陥ってしまうのは「ねばならぬ主義」が問題なんだ。
この本を読んで、私はそう感じました。
私は、失敗なく働かなければならない。
私は、パートナーと正常な関係を維持しなければならない。
私は、子供をきちんと育てなければならない。
私は、素晴らしい診療機関にかからなければならない。
こうした「ねばならぬ主義」のBをもっているから、それが満たされなくなってしまったときに、ひどく落ち込み、自虐的な結果Cをもたらすということがわかりました。
この「ねばならぬ主義」を手放すことが、自分自身を真っ暗闇に放り込むような自虐的な考えをやめることにつながると思いました。
例えば、私の夫はとてもおおらかな人です。先日、半袖を着て草むしりをしていたことにより、腕中、ひどい虫刺されになってしまいました。あまりに水ぶくれがひどいので、皮膚科を受診しなければならなくなったくらいです。
こうなると、「長袖を着て草むしりすればよかった」と後悔してもおかしくないのですが、夫が後悔を口にすることがありませんでした。後悔してももとに戻ることはないと理解しており、「まあ、仕方ないよね」と起こった現実をきちんと受容できているからだと思います。
虫刺されは小さな事例ですが、夫は大抵のことは、「ま、いっか」と流すことができます。このスルー力を持ち合わせていると、自虐的な考えCにいたることが少なくなると感じました。
不平不満は、悪い環境を変えることには一切役立たない
大変辛い状況にあると、つい不平や不満をいいたくなります。自分の中の不安や恐怖を人に話すことによって、少し気が軽くなったりもするものです。
しかし、筆者は「不平不満は悪い環境を変えることには一切役立たない」ときっぱりいいきります。
まず、あなたは自分で行為を選択しています。そのため、不平を言ったり、嘆いたりする行動の責任は、あなた自身にあります。
その上で、不平や不満をいうことは、どれだけ致命的であるかを理解しようといいます。不平や不満は、自虐的で、幼稚であり、人生の可能性を狭めることにつながります。あなたがよりうまくものごとをこなしたり、人があなたを公平に扱ったり、悪い環境を変えることには一切役立たないというのです。
これは、わかっていても、心が辛いときはどうしようもなくなるものです。しかし、心が辛いという状況は、「ねばならぬ主義」に陥っている可能性があります。
もしそうであれば、「~であればよかった」の方向に考えて、不平不満は役立たないということを思い出していきたいですね。
不快な出来事を受け入れ、同時にそれを変えていく努力をしよう!
人生に大きな不幸な出来事が訪れたとき、どう考えたらよいのでしょうか。
筆者は、「最悪、結局、問題解決策が見つからなくても、人生が大惨事になるわけではなく、十分に幸せな人生を送ることができると信じる。」とよいとおっしゃっています。
信じるんかーい!
そうつっこみをいれたくなりますが、これもまた真だなと思いました。不幸な出来事に対して、不幸な気持ちになっているのは自分自身です。ですから、これを変えるには自分自身の考えを変えるほかはなく、変えるためには、まずは「できる」と信じることから始めないといけないのだと思いました。
「不快で最悪な出来事は、単に不都合な出来事なのだと受け入れ、同時にそれを変えていく努力をすることが大切だ」と筆者はおっしゃいます。
この「単に不都合な出来事なのだと受け入れる」ことが、すごく重要なことだと感じました。
思いがけない出来事に遭うと、「信じられない」「なぜこんなことが」と思いがちです。そして、自分でも気づかないうちに、それを受容することができなくなっています。
最悪な出来事なんてありえない。そう思っているから、現状を受け入れることができません。
この「最悪な出来事」を、単に「不都合な出来事」なのだと考えを転換し、受け入れることによって、次に自分はどのような行動ができるのかを考えることができると思いました。
なんでこんなことがと思っているときは、現状を受け入れるなんてとてもできません。だって、ありえないことが起きたのですから。
それでも、将来を悲観して真っ暗な闇の中を歩いているなと気づいたら、ちょっと考えを変えてみることが重要だと思いました。それが自分にはできると信じるところから、新しい道がスタートします。
その考えをちょっと変えるが難しい!という方。よければこちらの本を手に取ってみてくださいね。新しい気づきがありますよ。
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