「百年の恋」というタイトルの本を読みました。恋愛小説?と思われるかもしれませんが、いえいえ!働く女性を支える男性視点で見たストーリーが描かれています。これがまた、面白い!
高収入で美人の梨香子と、フリーライターの真一が結婚をし、一緒に暮らすようになります。暮らしてわかったのは、梨香子は家事がまったくできない!ということ。必然的に、真一が家事を担うようになります。
男が家事をするということに対する感情や、出産すると母親は社会からどう見られるようになるかなど、考えさせられることが多い小説でした。それも、この本が出版されたのはなんと!今から20年も前のことだからです。
20年前に書かれたとは思えないような、今と変わらない状況・・・。そう感じる場面が多々ありました。これから子どもを持とうと考えている人にも是非読んでほしい!とても興味深い内容だったので、印象深い点を紹介しますね。
「百年の恋」のあらすじとは?
「百年の恋」は、エリート銀行員で高収入、美人の梨香子。フリーライターで年収200万の真一が登場します。2人は出会ってまもなく結婚。才色兼備の利香子でしたが、実際の生活は家事がほとんどできず、部屋は散らかり放題でした。
妻の下着を洗い、家のことをすることになった真一は、こんなはずではなかったと思うのです。女性がすべきだとされていることを、なぜ自分がしなければならないのか。そう考えてしまうのです。
最近では、妻が仕事に出て、夫が主夫をする家庭がテレビドラマになることもありますよね。そのため、こういう家庭もあるのだと認知されるようになったとはと思いますが、まだまだ家事は女性がするものと考えている男性が多いと感じます。
そして、こんな2人の間に、子どもができました。一体、どんな生活になるのか・・・。この先が、さらに興味深かったのです。
対照的な2人の間に子どもが!どうなる!?
読んで印象に残ったこと3点
では、梨香子と真一の間に子どもができ、出産、産後の育児までが描かれていきます。その中で、印象に残ったことを3つ紹介します。
20年前と変わらない育児に対する日本社会の考え方
臨月を迎えた梨香子は、美術展に行きたいと言い出します。いつもは投資銀行でバリバル働いている梨香子にとって、こんなにゆっくりできる機会はありません。しかし、心配な真一は、何かあったらどうするんだと反対します。「生まれてからにしよう」と。
「生まれたらおしまいなのよ」
悲愴な顔で訴える梨香子。あー、私はめっちゃ共感します。生まれたら、睡眠3時間、食事も自由に動くことさえもできない生活。生まれてからゆっくり美術展に行く気力は、なかなかないのが実情でしょう。
さらに、梨香子はいいます。
「だれが見てたって、だれに預けたって、赤ん坊を置いて母親が自分のために外出したら非難されるのが日本の社会」
わー、・・・すごく真意をついてる!
これ、20年前の小説ですよ?今の日本にも当てはまると思いませんか?
そういいつつも、私自身もそういう考えがありました。7年前、同級の友人が出産し、1歳の子どもを実母に預けて、海外旅行へいった話を聞きました。そのときは、私も1歳の息子を育てていたので、「小さい我が子を置いて、よく旅行にいけるなあ」と思ったのです。
なぜでしょうね。母親だって自由な時間をもつ権利はあるのに、子どもを近くで見ているべきだと思ってしまう。こういう思考の習慣は、日本全体に根強くあって、だからこそ、日本の母親は息苦しく感じるのではないかと思いました。
もっと早く産めばよかったという気持ちに対する考え方
子どもを授かってから、梨香子はため息をつきます。若い頃に産んでしまうべきだったと思うのです。それに対して、真一は小さく息を吐き出していいます。
「人生、七十年か八十年の中の、たった一年じゃないか。振り返ってみれば一生のうちで二度とない、いちばん幸せな時期かもしれないよ」
そう、そうなのだけど、梨香子にとってはそう思えないのだろうな。その1年で、大きく変わってしまうことがある。それ以上に手に入れるものもあるだろうけど、見えないのだと思いました。
「振り返ってみれば一生のうちで二度とない、いちばん幸せな時期かもしれない」という言葉の方が、今となっては真実だと感じます。でも、育児のまっただ中の当時は、そう思うことができないんですよね。
「砂浜のトド」「世界が終わると泣き叫ぶ」という表現が面白い
小説の中の時折出てくる表現が面白いです。例えば、梨香子が産休に入り、仕事を休んで自宅にいるようになります。真一がそっと覗きに行くと、
「着替えや書類や辞書や雑誌、たべかけの蜜柑などの散乱した部屋で、早春の光を浴びながら、砂浜のトドのごとく転がっている。」
とあります。
砂浜のトド!
連日、引き継ぎのための残業に追われていた企業戦士だったため、疲れ果て、大きな腹を抱え、まるで入行以来九年分の眠りをむさぼるかのように、深い寝息を立てているようすが描かれています。企業戦士だったんだよなーと感じる表現。
また、無事に生まれた赤ちゃんの泣く様子が描かれているシーンがあります。
「そうこうするうちに夕食の準備である。娘に食べさせるため、米はたいてい炊いてある。米だけで済むわけでもない。煮炊きしていると娘が起きて「世界が終わる」と泣きはじめる。」
「夜になっても娘は腹を減らす。溶いた粉乳や、ジュースを飲ませる。朝まで寝てくれるに越したことはないが、最低でも一度、時には二度三度「世界が終わる」と泣き叫ぶ」
わかるー!
長男が赤ちゃんのころ、すごーーーく泣いていました。「世界が終わる」って、まさに!これもまた、表現が面白いと思ったのです。
育児に対する日本社会の考え方が変わらないのはなぜか?
「百年の恋」を読んで一番感じたのは、日本の育児に対する考え方は、20年前と比べて変わっていないなということです。特に、「だれが見てたって、だれに預けたって、赤ん坊を置いて母親が自分のために外出したら非難されるのが日本の社会」という言葉が、すべてを表しているように思います。
海外では、ベビーシッター文化があり、子どもを誰かに預けることが一般的な国も多いです。必ずしも、人に預けることがベストとはいえませんが、母親が子どもを見るべきという意識が根強くあるからこそ、今の日本の母親は精神的に辛い状況に追い込まれることが多いのではないかと感じています。
とはいえ、そういう自分も子どもをベビーシッターに預けることに抵抗があります。それは、自分自身が認可外保育園に長男を一時保育お願いした際に、後ほどその施設が衝撃的な保育が日常的におこなわれていたと発覚したからです。ただ、これはまれなケースであると認識しています。
こういうまれな事態が起きることのほかに、やはり人の目が気になるという方は多いのではないかと思います。この気持ちが出てくるのは、日本の同質性のある文化的背景の影響が大きいと考えます。日本は単一民族であり、島国であることから、同じような人が集まる傾向があります。そのため、同じように振る舞うことが自然と求められ、多様であることが受け入れにくいのではないかなと思います。
ただ、この傾向は少しずつ変わってきています。母親が自分時間を持つことの大切さが認識されてきていると思います。子どもは親が見るべきという考えは、なかなか変わらないと思いますが、まずは自分自身を満たさないと、周りを幸せにすることもできません。自分自身を満たすことを大事にする。この考えを多くの人がもつことによって、日本の育児も変わっていくのではないかなと思いました。
男女の働き方や、育児に対する考え方について学びがある本です。とても興味深いので、是非手に取ってみてくださいね。
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