チョコベリーの暮らしをちょっと豊かにするブログ

3児育児中のワーママです。ライフハック、子育てなど暮らしを豊かにするヒントや気づきを綴っています。

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Voicyの尾石晴さんの「もっとコンサマトリーに生きろ」を聞いて考えたこと

「コンサマトリー」ってご存じでしょうか?初めて聞く方も多いかもしれません。あまり聞き慣れない言葉ですよね。

 

コンサマトリーとは、「自己充足的」という意味。「今、ここ」にある身近な幸せを大切にする感性のことをいいます。

 

Voicyパーソナリティーである尾石晴さん(ワーママはるさん)がこのコンサマトリーについて話をされていて、私の心にすごく残るものがありました。それは、育児についてです。

 

子育てで、子供とどのように接していくか悩む方も多いのではないかと思います。そんな方にとって、コンサマトリーの考え方はすごく気づきが多いと思いました。もちろん、コンサマトリーは育児以外の部分でもとても役立つ概念です。知っていると役に立つこともあると思いますので、紹介しますね。

  

 

コンサマトリーとは?

 

コンサマトリーとは、「自己充足的」という意味です。アメリカの社会学者タルコット・パーソンズが提唱した言葉であり、「今、ここ」にある身近な幸せを大切にする感性のことをいうそうです。

 

この言葉は、Voicyパーソナリティーであり、ヨガ講師をされている尾石晴さん(ワーママはるさん)のVoicyの発信で知りました。尾石晴さんは、現在大学院生として感性学を勉強されています。そうした勉強する中で、コンサマトリーという言葉を知ったそうです。

どんな状況をコンサマトリーというのでしょうか?例えば、晴さんの場合、資格取得を目的としているのではなく、ただ自分が学びたいという思いから大学院に通ってらっしゃいます。この場合、自己を満たすための行為なので、コンサマトリー(自己充足的)であるといえるのだそうです。

 

では、反対に、資格取得のために大学院へ行っている場合はどうなのか。この場合は、「インストゥルメンタル(道具的)」というのだそうです。目的をもって大学院に通うので、それは道具と見なしていることから、インストゥルメンタル(道具的)とみなされるそうです。

 

晴さんご自身は、会社を退職されてから、2年間のサバティカルタイム(使途用途を決めない休暇)をとられて、様々なことにトライされていました。これはお金にしようとか考えたわけではなく、自分が楽しいから、面白いからやっていたこと。ヨガ、本を書く、もの作りをする。すべて最初はコンサマトリーに始めていました。

 

その結果、ヨガ講師や執筆業、販売業が残っていきます。物を売るとなると、これくらいは売りたいよねという目標値ができてきます。こうなると、もの作りはインストゥルメンタル(道具的)になっていったのだそうです。

 

なるほど!

 

晴さんは、この考え方を育児に取り入れると良いのではとおっしゃっています。私たちは、子供が産まれたときには、元気に育ってくれればそれだけでいい、と思います。しかし、子供が大きくなるに連れて、自立して、ちゃんと納税する、まっとうな大人に育ってほしい。自分に力で、自分が好きなことができる大人になってほしいと思うようになります。つまり、目的をもってしまうのです。

 

すると、最初はただ元気でいてくれればいい、一緒にいるだけで楽しいというコンサマトリー(自己充足的)な思いがあったのに、良い大学に行くために勉強をちゃんとやらせなければなど、こうしてほしいとインストゥルメンタル(道具的)になってしまうとおっしゃっていました。

 

子供を道具的にみるのではなく、ただそこにいてくれることを幸せに感じるコンサマトリーな気持ちで子供と接することが大切なのではというお話しでした。

 

私の子供に対する考え方はコンサマトリーか?

 

すっごいわかる!晴さんの配信を聞いたときの気持ちです。でも、なんとかしたいと思ってしまう私の気持ちは何なのだろうと考えてみます。

 

我が家の長男は、人見知りで、静かに一人でいることを好むタイプです。そして、ゲームが大好き。夫がゲーム機を持っていたり、スマホゲームをしていることもあって、長男もそれらを楽しんでいます。

 

ゲームを楽しむのは、別によいのです。でも、身体を動かしてほしい、友達とも協力関係を築ける強さをもってほしいと思い、スイミングとサッカーの習い事にいっています。これは本人と話し合って行くことになった習い事で、最初は楽しんでいたのですが、1年経った今、やめたいと言うことが多くなってきました。

 

長男の話では、自分はサッカーに向いていないとのこと。サッカーは人と人がぶつかり合うスポーツです。試合で相手と対峙して、やり合う戦闘力みたいなものがないようで、試合が嫌だ。つまらない、とのこと。

 

以前は楽しいといっていたこともあったのに、すごく残念です。しかし、やりたくないことをやっていても人生はつまらないと思うので、新たな道を考えてみるのもありな選択肢です。

 

そもそも、なぜ私は子供にスポーツをさせたいのか?そう考えると、体力がつくし、身体を動かすことは脳にも良いし、人と関わることから人間力もつくというプラスの面が多いからやらせたいと思っていることがわかります。

 

でも、本当にいいことばかりなのか?もしかしたら、やめない根性を身につけたことで、大きくなって配属された職場がパワー・ハラスメント的だったとしても、我慢してずっと頑張り続けて体調を壊すかもしれません。静かに自分が好きな道を選んだほうで、穏やかに幸せな道を選ぶことができるかもしれません。私がいいと思って薦めていることが、絶対に幸せな道とは限らないんですよね。長男がこの先、どんな環境にいて、どんな人と出会えるかまで私がコントロールすることはできないからです。

 

すると、子供の幸せだけでなく、私自身を満たすために子供にスポーツを勧める面があることも見えてきます。私自身がスポーツが好きなので、一緒にやってくれたら嬉しい、スポーツする一生懸命な姿を見ていたいという希望があるのです。

 

こういう考えこそ、インストゥルメンタル(道具的)な考えになるのでしょう。生まれたときはただそこにいてくれたらいいというコンサマトリーな考えだったのに、いつの間にか道具としてみてしまっているのだと思いました。

 

子供の環境整備は、親の意向が大きい。そして、相性もある。

 

それでも、親が準備した環境によって、子供の個性がぐんぐん伸びる場合もあります。子供はまだ知識や経済力がないために、自分で環境を構築することはできません。子供の環境=学校、習い事などは保護者が用意することになります。

 

私はスポーツを楽しんで欲しいという思いがありますが、勉強に力をいれてほしい、英語を頑張ってほしい、ピアノなどの音楽を楽しんでほしいなど、親が何が好きかによって子供に勧めるものも変わってきます。結局は親の意向が大きいのですよね。

 

そして、その親の意向にうまくのってくれるかどうかは、子供との相性にあるのだと思います。「日本人の9割が知らない遺伝の真実」(安藤寿康)に書かれていたように、才能にも収入にも遺伝がかかわっています。親が思うように子が育つわけではない。でも、子供を観察して、よいと思われる環境を準備する。それが親ができることなのだろうと思っています。

 

私のこれからの考え方は?

 

自分が好きなこと、よいと思うことがあると、それを子供に対して勧める方は多いと思います。それは、自分が経験していて、よいと思っているからこそなんですよね。

 

自分がよいと思っていることを、子供も受け入れてくれたならば、一緒に楽しい時間を過ごせるので何も問題はありません。でも、自分がよいと思っていることが子供には受け入れられない場合は、薦めた側としては残念な気持ちになりますよね。それでも、そんなときは子供をインストゥルメンタル(道具的)に考えてしまっていることを思い出し、自分のコンサマトリー=自己を充足するにはどうしたらよいか?という視点で考えてみると、何か変化があるかもしれません。

 

例えば、私の場合、やってほしいと思っているスポーツを長男がやらないという選択をし、ゲームを好んでしているときでも、そこに元気でいてくれるだけでいいと思う。それだけでまずはコンサマトリーになります。生きていく上で必要だと思うこと、こうあってほしいと思うことがいろいろとでてきてしまいますが、自分をちょっと遠くから見つめる=メタ認知の視点を持っていこうと思います。

 

ただいてくれるだけでいいという気持ちを持った上で、挨拶や礼儀などは大切ですし、一緒に楽しめることをこれからもしていきたいです。子供に対する期待がインストゥルメンタル(道具的)になっていないか?時折振り返りながら、これからの育児を楽しんでいきたいです。みなさんも是非、子供との接するときに、コンサマトリーの考え方を生かしてみてくださいね!

 

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