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「夜と霧」を読みました。アウシュビッツ収容所の恐ろしさが理解でき、人間は虫けらのようにいるのだと感じた話

「夜と霧」を読みました。アウシュビッツ収容所を体験した精神科医ヴィクトール・E・フランクルの記録です。

 

今となっては、大変貴重な記録であり、あの残酷な経験をよくぞ文字として残してくれたと思います。けれど、筆者の次の一文から、その書き起こすことがどれだけ大変なことだったかがよくわかります。


「わたしは事実のために、名前を消すことを断念した。そして自分を晒け出す恥をのりこえ、勇気をふるって告白した。いわばわたし自身を売り渡したのだ

 

自分を売り渡した。そう書く必要があるほど、自分の名前を書くことが、どれだけ勇気の必要なことだったかがわかります。

 

私は、「夜と霧」を読む前から、アウシュビッツ収容所を描いた映画「シンドラーのリスト」も見ていました。その後、とあるきっかけで「夜と霧」を手に取ることになりました。本当に恐ろしい体験ですが、残してくださったことに感謝すると共に、同じことを繰り返さないためにも読んで良かったと思う本です。

 

一体、どんな学びがあったのか?「夜と霧」を初めて聞いた方。「夜と霧」に興味があったけれど、手に取ったことのない方。参考になれば嬉しいです。では、見ていきましょう!

  

 

「夜と霧」を読もうと思ったきっかけ

 

「夜と霧」は、アウシュビッツ収容所での生活が描かれた実体験のお話しです。とても怖くて、手に取ることはないだろうと思っていました。

 

ある日、映画「シンドラーのリスト」を見始めました。Amazonプライムにはたくさんの映画があり、せっかくだから何か見たいなと思って調べていたところ、「シンドラーのリスト」が複数の映画サイトでおすすめされていたのです。

 

この映画は、アウシュビッツ収容所に収容されるユダヤ人を救ったという実話であり、3時間にわたる作品で、監督がなんとあのスティーヴン・スピルバーグ!有名な「E.T」や「ジェラシック・パーク」を撮った監督です。だからこそ、「シンドラーのリスト」も見てみようと思ったのです。

 

見始めてみたのですが、これがまた、怖い!!ユダヤ人が収容される非道なシーンなどが詳細に描かれていて、私はときおり音量を小さくしながら、ときおり目をそらしながら、少しずつ見ていきました。そうしないと、とても見ることができません。映像は白黒です。

 

なかなか見ることができないと思っていたときに、自分軸手帳部で本の話題があり、「夜と霧」をいつか読みたいといっているという方のコメントがありました。

 

「夜と霧」?

 

なんとなく聞いたことがあるタイトルだと思い調べてみると、まさにアウシュビッツ収容所に収容されたことのある方のお話し!今まで怖くて手に取れそうにないと思っていましたが、映画を見ているからこそ、より学ぶものが多いのではと思い、本を手に取ってみることにしました。

 

収容所生活のおぞましさがよくわかる

 

著者であるヴィクトール・E・フランクルは、精神科医ですが、収容所においてはただの番号だったといいます。収容者に名前はなく、すべて番号で呼ばれるのです。過酷な収容所生活で生き延びられたのは、医者だったからではないかと思われるかもしれないが、そうではない、と。1人の人間、いや人間とも思われない扱いを受けていて、精神科医としての仕事はまったくなく、他の収容者と同じ生活だったといっていました。

 

「人間はなにごとにも慣れる存在だ」とドストエフスキーは定義しました。そのとおりだと筆者はいいます。苦しむ人間、病人、死者。見慣れた光景になってしまい、心が麻痺していきました。被収容者は内面がじわじわと死んでいったと表現されています。収容された人々が、おぞましい状況に慣れてしまうのだから、私が感じる辛い状況に慣れてしまうのも当然のことなのかもしれないと思いました。

 

極寒の中、裸足でおこなう労働もあり、足がぱんぱんに腫れ上がっていました。衣服は洗われることなく、ぼろぼろにちぎれ、まるで布一枚のようなもの。収容生活の食事もひどく、食事は日に1回の水としかいえないようなスープと、人をばかにしたようなちっぽけなパン。それに日替わりのおまけ。チーズのかけら、水っぽいジャムなど。重労働、極寒の野外で過ごし、衣類がおそまつであることからも、この食事がカロリーがまったく不足していました。静養中の病人はさらにひどかったそうです。

 

夜は寝る前にシラミをとり、自分の裸を見て筆者は考えます。「これがわたしの体か?これはもう死体じゃないか。わたしとはいったいなんだ。人の肉でしかない大群衆の、けちなひと切れだ。鉄条網のなかでいくつかの掘っ立て小屋に押しこまれている群集、毎日きちんきちんと決まった割合で命を失い、腐っていく群衆のけちなひと切れ

 

この文章を読んでから、私は人間はまるで虫けらのようにたくさんいるのだなと思うようになりました。いや、本当は虫けらなんかではありません。一人一人が意思を持ち、希望を持ち、愛情を持っています。けれど、収容所生活においては、それがまったく無視されてしまう。一人一人が尊厳ある人間だと思うと同時に、でもそれは環境によって大きく変わってしまうことなのだと理解しました。

 

筆者はいいます。「飢えた者の心のなかで起こっている、魂をすり減らす内面の藤や意志の戦い。これは、身をもって体験したことのない人の想像を超えている。彼らにはこういうことはとうてい理解できないだろう」体験していないから想像しかできないけれど、これだけ非道な体験があったこと、二度と繰り返してはいけないということが学べます。

 

未来のことはだれにもわからない

 

本を読んでいると、未来のことはだれにもわからないと感じることが多々ありました。

 

例えば、筆者が初めて収容所に入ったとき、看守が並んでいる被収容者を右、左と分けていきます。右は労働、左は不適格者とだれかがささやきます。「わたしはなりゆきにまかせることにした。」このあと筆者は幾度となくなりゆきにまかせてきました。それによって、最終的に生き残ったのです。

 

あるときは筆者は体調不良に陥ったため、病人収容所に移動になりました。通常の収容所の人々は同情しましたが、その後、飢餓状態が悪化。通常の収容所に残った人びとは助かったと思ったのもつかのま、急転直下、破滅への道をたどります。数カ月後、筆者は解放されたあとに、通常の収容所に残った仲間のひとりと再会します。この男は、収容所最後の日々、死体の山から消えて鍋の中に出現した肉片に手を出したひとりでした。つまり筆者は、収容所が地獄と化し、人肉食が始まる直前にそこを逃れることができたのです。人肉食がありうるなんて・・・。なんて恐ろしいのだろうと思うと共に、それだけ極限だったのだと思います。

 

また、解放の時がやってきたときのことです。移動のための車が出されましたが、筆者はなかなか乗り込むことができませんでした。リュックを背負ったまま、腹立たしく、やるせない気持ちでその場に坐りこみ、最後の数人の被収容者とともに車を待ちました。とても恐ろしい経験を数年も続けていたのだから、そこから早く立ち去りたいとだれもが思いますよね。最後の数人として残されてしまったときの気持ちを想像すると、本当にいたたまれなくなります。


「この収容所に最後まで残ったほんのひと握りの者たちが、あの最後の数時間、「運命」がまたしてもわたしたちを弄んだことを知ったのは、人間が下す決定など、とりわけ生死にかかわる決定など、どんなに信頼のおけないものかを知ったのは、それから数週間もたってからだった。」数週間後、筆者は数枚の写真を見せられます。それは筆者のいた収容所からそう遠くない、小規模収容所で撮られたものでした。運ばれた患者たちはそこで棟に閉じこめられ、火を放たれていたのです。写真は半ば炭化した死体の山を示していました。


なんてこと!自由になったと思って飛び乗った車の行き先が、死だったなんて。乗りたくても乗れなかった者たちが、生き残っているだなんて。筆者は、早く解放の車に乗りたいと思っていました。でも、乗っていたらその先に待っていたのは確実な死だったのです。乗りたいと思っていた車に乗らなかったからこそ、生き延びることができたのでした。これらのことから、本当に何がよかったかなんてわからないと思わずにいられません。

 

結局、決まっている運命なのでしょうか?それとも、自分が行動することで何か変わることがあるのでしょうか。答えはわかりません。でも、深く考えさせられる筆者の経験でした。

 

生きしのぐことの意味

 

「おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。」そう筆者はいいます。生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけです。


しかし、筆者の心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いでした。すなわち、「わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか」という問いです。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の幸せに左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないと考えていました。

 

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」 したがって、被収容者には、彼らが生きる「なぜ」(生きる目的)をことあるごとに意識させ、現在のありようの悲惨な状況に「どのように」精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらねばならないと筆者はいいます。

 

反対に、生きる目的を見いだせず、頑張り抜く意味も見失った人は痛ましい限りでした。よりどころをなくして、あっという間に崩れていきました。「生きていることにもうなんにも期待がもてない」こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのかと筆者は回想します。

 

ある日、筆者は過酷な労働をしいられているときに、離ればなれになった妻のことを思い出します。そのとき、大変辛い労働にもかかわらず、心が平穏に満たされました。そして気がつきます。愛は、人が人として到達できる究極にして最高のものだという真実を。「今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解した。」

 

精神的にも、体力的にも極限の中で、生きる目的を見いだすということがどれだけ大変だったのかがよくわかります。その中で、愛は救いになるにいうことはとても尊い真実だと思います。けれど、すべての苦しみや死に意味があるのかについての答えも出ていません。生きる意味は自分で見つけていくしかないのですが、辛い状況にあるときはその意味を見つけていくことがとても難しいことがよくわかりました。

 

人間は虫けらのようにたくさんいるが、虫けらではない

 

アウシュビッツ収容所に収容されていた人々は、解放されてからも苦しみが続いていました。その中のひとつが、自由を得てもとの暮らしにもどった人間の不満と失意です。あれだけ辛い体験をしてきたのに、ふるさとに戻るとそこで会う人たちは、せいぜい肩をすくめるか、おざなりの言葉をかけてきました。「いったいなんのために自分はあの全てを堪え忍んだのだ」このような懐疑にさいなまれたそうです。

 

この感情は、さきほど筆者が考えていた「このすべての苦しみや死には意味があるのか」という考えとつながるものがあると思いました。

 

筆者はいいます。「収容所にいたすべての人びとは、わたしたちが苦しんだことを帳消しにするような幸せはこの世にはないことを知っていたし、またそんなことをこもごもに言いあったものだ。少なからぬ数の解放された人びとが、新たに手に入れた自由のなかで運命から手渡された失意は、のりこえることがきわめて困難な体験であって、精神医学の見地からも、これを克服するのは容易なことではない。そうは言っても、精神医をめげさせることはできない。その反対に、奮い立たせる。ここには使命感を呼び覚ますものがある。」

 

私は、アウシュビッツ収容所から解放され、生き延びた方々はなんて強い方々なのだろうと思っていました。そして、解放されたことを喜び、それで話は終わりだと思っていました。でも、実際は違っていました。まだ癒えぬ精神的な心の傷を負っていたのです。

 

映画「シンドラーのリスト」と一緒に見ると、アウシュビッツ収容所の恐ろしさがより理解できます。人間とは環境に支配されるものであり、変わってしまうものなのだということがよくわかりました。そして、このようなことは二度と繰り返してはならないと思います。

 

「夜と霧」は精神科医ヴィクトール・E・フランクルが命をかけて書いた記録です。どうか多くの方に手にとっていただき、次の世代にこれからも残していってほしいと思います。学びの多い本ですので、是非手に取ってみてくださいね。

 

 

 

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