小学生の子供たちが図書館で本を借りるようになり、どうせなら偉人の歴史を読んでみたらどうだろう、漫画なら読めるのでは?と思いました。誰について借りようかと思ったときに渋沢栄一さんが思いつきました。
渋沢栄一さんは、2024年から新1万円札の肖像になることが決まっています。でも、渋沢栄一さんがどんな方だったのか、どんな偉業を成し遂げた方だったのかはわからない・・・。そこで、歴史漫画を借りて読んでみることにしました。
読んでみたら・・・すごかった!こんなに素晴らしい偉業を成し遂げた方だったのかと感動もののレベルです。これだけすごいことを成し遂げたのに、やっぱりあまり知られていない印象。いったいどんな方だったのか、何を成し遂げたのかについて、調べたことを紹介します。では、行ってみよ-!
実家は染め物に使う藍玉の製造販売だった
「青は藍より出でて藍より青し」荀子。弟子が師よりも優れていることの例えです。私が借りた渋沢栄一の歴史漫画の始まりは、藍に関することわざから始まりました。ちょうど子供とことわざクイズをしていたので興味深い。栄一の生まれた家は、染め物に使う藍玉の製造、販売をしていました。藍の格付けをして、競い合うことでさらに向上を目指したそうです。
栄一の従姉妹、尾高惇忠(じゅんちゅう)。なんと、のちの富岡製糸場の初代所長だそうです!栄一の妻は、その妹の千代でした。
周囲の方もスゴイ方が多い・・・!
栄一は、最初は攘夷派でした。攘夷とは、外敵を撃ち払って入国させないこと。一橋家家臣、平岡円四郎は栄一に「夷狄と話したことがあるか?」「話もしないうちに討ち果たすべきとどうしてわかるのか」と問いかけます。平岡は、栄一を徳川慶喜に推挙。そして栄一は、雄藩連合で慶喜様に国を導いてもらおうと考えます。外国人を追い払い、天皇を中心とする国を作るため、江戸幕府を倒そうと計画するのですが、失敗。1866年、慶喜は15代将軍となります。栄一は、慶喜に仕える幕臣となったのです。
栄一は慶喜に仕えることになった!
フランスで開催される万国博覧会へ
1867年、フランスで開催される万国博覧会に、慶喜の弟、徳川昭武14歳が慶喜の名代としていくことになりました。昭武のお供として、なんと!栄一もフランスへ行くことになります。上海、エジプト、汽車を乗り継ぎ、船に乗り、フランスへ到着。
なんていう長い旅路だろう!
そして、フランスで過ごす着物やちょんまげは、すごく不思議に見られたと思うし、文化の違いをたくさん感じたと思います。ここで出会ったフリュリ=エラールが、英一の経済の師となったそうです。
万国博覧会で、競い合うことでさらに向上を目覚めさせることに栄一は気づきます。藍で格付けしたのと同じです。そして、銀行、株式会社という賛同するものから少しずつお金を集め、利益が上がればそれを分配して返すシステムを学びます。誰一人損をしない、信頼の循環。みな豊かになれるといい。そう栄一は考えたそうです。
異文化に触れたことで、大きな気づきがあったんだな
度量衡の改正、地租改正、郵便制度の創設!
栄一が帰国すると、徳川慶喜は1867年に大政奉還をおこない、1868年に江戸城無血開城をし、水戸にいました。すごい騒然とした時代に帰ってきたのですね。
栄一は株式会社を発足します。茶の栽培を始め、静岡を日本一のお茶の生産地としました。静岡がお茶で有名なのはよく知られていることですが、栄一の貢献もあったのかとびっくり!
静岡藩の経済を立て直した栄一は、明治政府の士官として呼ばれます。大隈重信と会い、士官を断るつもりだったのですが、慶喜公のため、国のためと論破され、大蔵省に入省。そして、各省の垣根を超えた特命チーム「改正掛(かいせいがかり)」を立ち上げます。
栄一は、静岡藩から前島密(ひそか)、杉浦譲(ゆずる)などを呼び寄せ、度量衡の改正、地租改正、郵便制度の創設をおこないます。貨幣制度の改正では、「円」を定めたそうですよ!すごいー!!そして、前島密は今の「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めた方なのだそうです。えー、これもすごい!
現代につながる制度をたくさん作ってる!
日本初の銀行などさまざまな株式会社の設立にかかわる
1873年、大蔵省を退官した栄一は、日本初の銀行、第一国立銀行の総監役に就任します。栄一の従弟である渋沢喜作は、栄一の推薦で大蔵省に入省。のちに実業家として成功しました。
栄一は、積極的な融資でさまざまな株式会社の設立にかかわります。
1873年 第一国立銀行(現・みずほ銀行)、抄紙会社(現・王子ホールディングス/日本製紙)
1878年 東京株式取引所(現・東京証券取引所)
1879年 東京海上保険会社(現・東京海上日動火災保険)
1881年 日本鉄道会社(現・東日本旅客鉄道)
1882年 共同運輸会社(現・日本郵船)
1882年 大阪紡績会社(現・東洋紡)
1885年 東京瓦斯会社(現・東京ガス)
1887年 帝国ホテル会社(現・帝国ホテル)
1918年 田園都市株式会社(現・東急/東急不動産)
こんなにたくさんの会社の設立にかかわっていたなんて・・・!
こうして社名を書くのは簡単なことですが、実際には大変なご苦労があったのではと思います。だって、会社を立ち上げるには様々な人との調整が必要になり、ストレスもそうとうあったのではと想像できるからです。でも、それを感じない何かがきっと栄一のなかにはあったのでしょう。この底知れぬ精神が素晴らしいなと思ったのでした。
「会社は資本家のためにあるのではない。社会のためにあるのです。」
有名な実業家として、岩崎弥太郎がいます。土佐藩出身。三菱財閥の創業者です。私は大河ドラマ「龍馬伝」を見てこの方のお名前を知りました。本によると、岩崎は社長独占主義だったそうです。対して栄一は、利益は独占することなく、社会に還元すべきだと説いていました。
「会社は資本家のためにあるのではない。社会のためにあるのです。」
うわー、素敵だな。この考えに共感する。!
栄一は道徳経済合一説を実践すると共に、多くの講演をおこない、その考えを広めていきました。それをまとめたのが、1916年に出版された「論語と算盤」です。この本のタイトルは、Voicyパーソナリティの朝倉祐介さんが「論語と算盤と私とボイシー」という名前で配信されていたなと思い出しました。一度読んでみたいと思いつつ、積読になっていた本です。うん、読もう。
栄一は、貧困者の救済として養育院の運営など600に及ぶ福祉活動や社会事業に取り組んでいます。次の事業等の設立に尽力しました。
1887年 日本赤十字社(博愛社)
1917年 理化学研究所
1917年 聖路加国際病院
1913年 日本結核予防協会
すっごーーーい!!!!
70歳を前に実業の世界から引退。しかし、そのあとも様々なことに挑戦されます。トーマス・エジソンやアジア人初ノーベル文学賞受賞詩人タゴール、蒋介石と民間外交をおこないます。アメリカには4度行くのですが、4回目はなんと81歳!3度目の渡米時にはウィルソン大統領に会っています。経営学者ピーター・ドラッガーは、栄一について「思想家としても行動家としても一流」と絶賛していたそうです。
渋沢栄一から学ぶこととは?
2024年から一新される予定の1万円札の肖像には渋沢栄一が選ばれました。5千円札は津田梅子、千円札には北里柴三郎が選ばれています。
津田梅子がどんな人だったかはこちら↓
今回の本を通じて、渋沢栄一さんがどれだけ日本の経済界に貢献したかがよくわかります。経済だけでなく、社会全体に貢献した方といえますね。
栄一さんは、フランスの万国博覧会に行き、世界の様々な文化に触れています。これがのちの栄一さんの行動に大きな影響があったなと思うんですよね。だから、やっぱり日本にずっといるのではなく、海外に出て、異国の文化に触れることはとっても大切だなと感じました。自分の子供にも、機会があれば積極的に海外に出て、文化に触れてほしいな。日本全体の多くの方にも言えることですね!
また、栄一さんは多くの会社や組織を設立しましたが、これには多くの方との交渉が必要になります。それはとても胆力が必要で、心身の疲労がとてつもなく大きく、精神的につぶされてしまうような重圧だと思うんですよね。(勝手な思い込み)でも、そうした精神的な病にかかることもなく、これだけの設立ができたのは、人間としての誠実さや諦めない精神力が強くあったのではないかと思います。
そして、私自身が悩んでいることも、渋沢栄一さんが成し遂げていったことに比べたら、とてもちっぽけなものなのだなと思わずにはいられません。もちろん、私個人にとっては大変な問題で、どうにかしたいことではあるのですが、渋沢栄一さんが抱えていた問題と比べると、悩むまでもなくできることを行動しようと思うことができました。
歴史漫画ですととても読みやすく、理解しやすい内容になっています。ご興味ある方は是非、歴史漫画を手に取ってみてくださいね。お子さんと一緒に読めば、感想の共有もできますよ。
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お読みいただき、ありがとうございました!