チョコベリーの暮らしをちょっと豊かにするブログ

3児育児中のワーママです。ライフハック、子育てなど暮らしを豊かにするヒントや気づきを綴っています。

MENU

 

経済評論家、勝間和代さんの「まじめの罠」を読んでみた。日本人にとって大事なのはクリティカルシンキングだと思った話

経済評論家、勝間和代さんの「まじめの罠」を読みました。正直なところ、あまり惹かれるタイトルではなかったのですが、「まじめ」とは一体なんだろうと思って手に取ってみました。

 

読んでみてわかったのは、「すべての前提を疑ってみる」というクリティカルシンキングの考え方の重要性です。多くの日本人にとって大事な考え方だと思いました。

 

日本人は、まじめだとよくいわれます。これは、お上の言うことが正しいという価値観をもっていることが多く、そのために疑うことなく、まじめにコツコツ行動してしまう傾向があると勝間さんはいいます。疑わないということは、自分の頭で考えないということ。そのため、生産性の低いことを続けてしまい、長時間労働などにつながっていると私も思いました。

 

では、クリティカルシンキングとは一体何なのか?日本人の多くが陥りやすい「まじめの罠」について考えて、罠から抜け出し、より過ごしやすい生活になるヒントを見ていきましょう!

  

 

重要なのは「すべての前提を疑ってみること

 

筆者である勝間さんは、日本には「まじめの罠」があるといいます。この罠に気づくためには、「すべての前提を疑ってみる」ことが重要だといいます。マッキンゼーでは、入社したコンサルタントの卵たちに、まずこのことをイロハのイとして教え込んでいるそうです。それだけ基本的な概念ということですね。


この健全な疑いをもって事象を読む手法は、欧米では「クリティカルシンキング(批判的思考)」という言葉で定着しているそうです。クリティカルシンキングとは、「物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること」。いろんな角度から検討することが重要とされています。

 

でも、日本ではあまり一般的ではないですよね。日本ではなぜか、クリティカルシンキングそのものを誰も教えてくれません。それどころか、半分タブーのようにすらなっていて、家庭や学校では、「人を疑ってはいけません」「親の言うことに逆らってはいけません」「先生の言うことは素直に聞きましょう」といったように、ただひたすら従順であることを美徳として教えるだけ。これでは「まじめの罠」に陥るのは必至だと筆者は言います。

 

Voicyパーソナリティーでマレーシア在住の野本響子さんも、日本では「クリティカルシンキング」がない、つまり、前提を疑うということがお話しされていました。当時高校生の息子さんとの対談では、前提を疑って考えるということを実践された思考を見せてくれて、すごく驚嘆した覚えがあります。日本は圧倒的に、前提を疑うという習慣がないと改めて思ってしまいました。

 

正しい結論を導くためのクリティカルシンキングは、私たちが生きていく上での基本中の基本だと筆者はいいます。欧米の国々では家庭教育や学校教育の現場で、当たり前のようにクリティカルシンキングが育まれるような取り組みが行われているそうです。人前での発表やディベートなどで、前提そのものを疑う発想を育てるとのこと。このクリティカルシンキングを育む取り組み、本当に素敵です。日本にも是非取り入れて欲しいと思ったのでした。

 

日本でも、クリティカルシンキングの教育を取り入れてほしい!

 

「責任回避」と「無謬」の相互依存関係の考え方

 

クリティカルシンキングとともに印象深いのが、「責任回避」と「無謬」の相互依存関係の考え方です。無謬とは、理論や判断に間違いのないこと。私たち日本人は「お上」に対して、ある意味でびっくりするくらいの「信頼」を抱いていて、「お上」にいるエリートはとてもいい人であり、まじめであり、自分たちのことを真剣に考えてくれている――そう信じていると筆者はいいます。私は、この「無謬」の考え方があるから、「責任回避」が日本では起きているのだろうと思いました。

 

そんなまじめな人たちのトップにいるのが総理大臣であり、だから総理大臣は「絶対無謬」でなければならなくなります。国民は責任を取りたくないという性質を持っているので、国のトップが「絶対無謬」でないと困るのです。もちろん、絶対無謬の総理大臣など存在しません。そして、「『祭り上げ』と『神殺し』」のプロセスを経て、私たちは平成の23年間で16人もの総理大臣を取り替えているそうです。こう考えると、すごい数・・・。

 

私は、日本人の多くが「お上の言うことは聞くもの」と考えるのは、歴史的な背景があるためではと思いました。江戸時代には武家、農民といった階級社会があり、お上のいうことに従ってきた歴史があります。その風土が根強く残っているように思います。それと共に、日本政府にとっては従順な方が都合がいいため、クリティカルシンキングを教える制度を整えようという風潮が広がらないのでは・・・?と思ってしまいました。

 

責任をとるというのは、精神的に負担が大きいことです。失敗を伴うことでもあります。けれど、「絶対無謬」=絶対に理論や判断に間違いのないことはありえないので、多様な角度から検討し、国民自身が責任をとる覚悟をもつことが大切ではと思いました。

 

クリティカルシンキングを身につけるために、まずは「ついつい鵜呑みにしてしまう姿勢」を疑ってみよう

 

子供の小学校の課題で、疑問に思ったことがあります。それは、インターネットの調べ方についてです。新型コロナ感染症の影響で、我が家の通う小学校では生徒に1人1台ノートパソコンが配布されるようになりました。そしてあるとき、小5長男はインターネットで調べる課題が与えられ、「警察犬」について自分でまとめることになりました。

 

長男は、ネットで「警察犬」と検索すると、一番最初に出てきたリンクをクリックし、表示されたページから説明に該当する文章をコピーし、課題を提出するフォーマットに貼り付けていました。

 

え?!コピペでいいの?そもそも出典元は?

 

調べたら、まずはその情報が正しいのかどうかを確認することが大切だと思います。その情報が正しいかどうかわからないからです。しかし、長男はそのままコピペし、出典元も確認しないまま・・・。

 

小学校で、出典元を確認するようにいわれていないのか確認したところ、特に言われていないとのこと。これにはびっくり!小学校の先生から出典元を明記するように指示されていないと言うことは、先生自身もその重要性を理解していないのではと思ったのです。

 

小学校でノートパソコンが配布されたのは、コロナ感染症が広まってからなので、つい最近のことです。学校も、その扱い方について指導が定まっていないのかもしれません。でも、その情報が本当に正しいかどうかは、自分で確認しないとわかりません。この情報が正しいかどうかを確かめるという行動が、クリティカル・シンキングにつながるのではないかと思いました。

 

このとき、私はインターネットで調べたことは、出典が正しいかどうか調べることが大事だと長男に伝えました。こうしたことが、小学校でも指導してもらえるようになるといいなと思うので、機会があれば伝えていきたいと思っています。

 

勝間さんも「まずは、自分の、ついつい鵜呑みにしてしまう姿勢自体を疑ってみてください。」と言っています。相手を信じる方が簡単で、疑うことは精神的に負担になることです。でも、それが事実かどうか確認することは、とても重要なことだと思いました。まずは自分自身が鵜呑みになっていないか考えるように意識したいですし、子供にも伝えていきたいです。

 

みなさんも「まじめの罠」にはまっていませんか?きちんと疑うことができるように、考えていきたいですね!

 

 

面白かったら、シェアいただけたら嬉しいです!