「Humankind希望の歴史」の下巻を読了しました!すごく話題になっていたので、手に取った本。上巻と比べると、また違った気づきがありました。
人間は善なのか?悪なのか?そんな壮大な問いから始まる本書ですが、最終的には自分自身の考え方次第であるということがわかります。
そして、上巻と下巻を読んだことで、また違った気づきがありました。上巻と下巻を比較しながら、印象に残った点を紹介したいと思います。
「Humankind希望の歴史」って、一体どんな本なの?そう思う方の参考になれば嬉しいです。
「Humankind希望の歴史」上巻と下巻の違いとは?
「Humankind希望の歴史」の上巻では、次の3つが印象深く心に残っていました。
1.無人島で暮らした子供たちから気づく人間の体のすごさ
2.ミルグラム実験からわかる本当の人の本質
3.キティ・ジェノヴィーズ事件からわかるマスコミの報道事情
この3つからもわかるように、上巻は、実際に起きた出来事や実験結果について書かれています。
詳細はこちら。
しかし、下巻は、マキャベリの「君主論」、アダム・スミスの「国富論」、心理学者ロバート・ローゼンタールの「ピグマリオン効果」などが登場し、有名な学者の考え方が説明されている部分が多く感じました。そのため、どちらかというと上巻の方が入り込みやすく、理解しやすかったなという印象があります(個人の感想)。
それでも、下巻から得られた学びもあります。得られた学びについて紹介しますね。
「Humankind希望の歴史」下巻を読んで印象に残ったこと3点
では、下巻から得られたことは何なのか?3点紹介します。
テロリストの共通点は、他人の意見に影響されやすい
テロリストに共通して見られる特徴は、何だと思いますか?それは影響されやすいことだと専門家は見ているそうです。
彼らは他人の意見に影響されやすい。権威に影響されやすい。家族や友だちに、正しいことをしていると見られたいとのことでした。
私自身、過去の行動に対して、なぜあんなことをしたのかと思うことがあります。今思えば、その時によいと思っていた人のかなり影響を受けていたんですよね。よいと思う人のいうことに強く影響を受けて、なんでもかんでも信じ込んでしまっていました。(思い込みって怖い)
そのため、ニュースなどでなぜこんなことがという事件や報道を聞いたりすると、ああ、きっと何かどうしようもない思い込みがあったんだろうなと感じます。思いこみすぎて、はまってしまった人の気持ちがわかります。
だからこそ、他人の意見に影響されやすい人ほど、自分でそのことを認識して、事前にはまりこみすぎないように自分をセーブすることが大事だと感じます。よい方だなと思う人がでてきたときほど、「本当にそうなのかな?」と疑ってみる気持ちも大事だと思いました。
汚物のように扱えば、人は汚物になる
ノルウェーでは、看守の40パーセントは女性で、全員が2年間の訓練プログラムを受けるそうです。受刑者を見下したり、辱めたりするよりも、彼らと友だちになるほうが良い、と将来の看守たちは教わるとのことでした。看守は、受刑者が正常な生活を送れるよう、最善を尽くすのが自分たちの義務だと考えているそうです。
争いが起きた時は、両者は席に着いて徹底的に話し合わなくてはならず、握手を交わすまで、席を立つことは許されない。そんなことあるの?と思うような制度です。でも、信じられませんが、これがうまくいっているそうです。
バストイの刑務所長、トム・エーベルハルトは語ります。「簡単なことです。汚物のように扱えば、人は汚物になる。人間として扱えば、人間らしく振る舞うのです。」
こんなことがあるのかと本当に驚きます。でも、「汚物のように扱えば、人は汚物になる」は事実だと思いました。
お前はだめなやつだといわれれば、奮い立つ人もいるかもしれませんが、自分はだめだと思ってしまう人の方が多いのではと思います。そう考えると、あなたはできる、大丈夫だと声かけされた方が、前向きに考えることができるとわかります。
私自身も、周囲への声かけや、自分自身の声かけについて、改めて前向きにできるようにしていきたいと思います。
疑いを抱いた時には、最善を想定しよう
本の最期に、筆者の指針10か条の紹介があります。その中でも印象的なのは、「疑いを抱いた時には、最善を想定しよう」です。
誰かの意図が疑わしく思えたら、最も現実的なのは、善意を想定することだそうです。確かに、相手を疑うときりがなく、どんどん深みにはまってしまうものです。本当にそうなのかしら?私を騙そうとしているのでは?と、勝手に疑心暗鬼になってしまうんですよね。
もしも、本当に誰かがあなたを欺こうとしている場合は、あなたの非相補的行動(自分にひどい仕打ちをする人に、親切に接する)ことで相手を変える可能性が高いといいます。これは、結構勇気が入ることだと思うのですが、それだけ親切が効くということですね。
それでも騙された場合は、時々は騙されるという事実を受け入れた方がはるかによいといいます。なぜなら、他人を信じるという人生の贅沢を味わうための小さな代償だからだと筆者はいいます。そうはいっても、騙されるという体験は、本当に辛いものだと思うので、できれば体験したくない経験です。でも、人を疑って過ごすよりも、善意を想定して信じて生きていった方が、健全によい方向に生きていけると思いました。
人が善になるかどうかは、自分の考え方次第
「Humankind希望の歴史」の上巻、下巻を通して感じたのは、人が善になるかどうかは自分の考え方次第だということです。
人によって、事象の見方や受け取り方が異なります。人が経験した過去や、感じ方は人それぞれ違うからです。そう考えると、人は善だと考えている人は様々な周囲の反応を善としてとらえることができますし、それによってその人が受け取る反応も善が返ってくるのだと思います。そうすると、よい循環がどんどん回っていきます。
反対に、人は悪だと考えていると、自分を守るために身を固めて生きていかなければなりません。いつ、誰が自分をだましに来るのだろうと、びくびくしなければなりません。これは精神的によいことではありませんし、悪い循環に陥ってしまうと思います。
自分の世界は、自分が見たいようにできている。そう考えると、人の善を信じていきていったほうが、自分の人生もよいほうに転がっていく可能性が高いと思いました。
人間は、善なのか。悪なのか。それを考えるヒントがたくさんいただける本です。是非手に取ってみてくださいね。
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